祖母が亡くなって10日あまり。
前から覚悟していたものの、
やっぱり人が亡くなるって心にポカッと穴が空きますね(;_;
だんだん元気を取り戻してきたので、
ブログに書き留めておこう思います。
「今日はおばあちゃんの呼吸がとてもゆっくり…」
と妹から連絡を受けた10月2日(日)。
朝イベントがあって、事務所で仕事をしており、
いつものように夕方会いに行こうと思っていたので、
「じゃあ今日は今から行くか…」と、
昼過ぎに祖母のいる施設に向かいました。
このときは誰も…
あと30分で祖母が亡くなるなんて思っていなかったと思います。
外は眩しくて、暑いくらいの秋晴れで、
なぜか数日前に祖母の枕元で歌った「里の秋」のメロディが頭に浮かんで、
涙も浮かんで、「まだ行かないで…」と呟いてしまいました。
…結局私は、あと5分が間に合いませんでした。
なぜあとちょっと…と仕事を欲張ってきたのか…自分を責めたくなりました。
部屋に入ると、よくドラマで見かけるような機械の横に、呼吸のない祖母。
「0」の数値でピーとなり続ける、機械の乾いた電子音。
祖母は、家族に見守られながら、
89歳の生涯に幕を閉じました。
終末期の介護ということで、
娘・息子である伯母・伯父・母がほぼ毎日施設に通うようになったのが6月。
一度は危なくなった祖母が、
一時的に回復してここまで長生きしてくれたのは、本当に奇跡。
最期は水しか飲めなかった。
そして水すら飲めなくなっていった。
それでも生き続けた祖母。
昔の人は身体が本当に強い。
いつこれが最期になるか分からないから…と、
毎回写真を撮って、
できるだけ会話をして、
手を握って、たくさん歌を歌ってきた数ヶ月。
その日々が、ついに終わりました。
*
「棺には何を入れようか…」
そんな話題から、祖母が昔、機会で織った手作りのニットがあるという話になり、
実物を出してみると、ずっしりと光沢のある、まだ誰も着ていないアンサンブル。
通夜の日はゆうがたGet!のスタジオ出演日だったので、
最後に私ができることとして、そのニットをまとうことにしました。
驚いたことに、通夜会場にもテレビがあり、
祖母が横たわる隣で、祖母のニットを着た私の姿が放送されました。
まだ祖母の身体がこの世にあるうちに“共演”できたこと、
そして、長野県のどこにいても、
こうして電波に乗って姿が届く仕事の凄さと責任すら感じました。
*
祖母がくれた時間は、何だったんだろうと考えます。
伯母・伯父家族と会う時間が増え、
祖母の昔話を聞くことが増え、
お通夜も告別式も、いろいろ大変だけど、でもずっと親戚で集っていて、
時に明るく過ごせて、お別れの時はみんなで心を1つにサヨナラをして…。
かけがえのない時間をくれたことは、
間違いないと思います。
告別式では、孫を代表して、
昨年祖母に贈った「米寿のお祝いのお手紙」を紹介しながら、
お別れの言葉を述べさせてもらいました。
手紙では、祖母と同じうさぎ年であることに触れ、
『「うさぎとかめ」のお話では、うさぎは早く走れることで有名だけど、
どうぞおばあちゃんは、かめよりもゆーっくり長生きしてね。
来年もみんなでお誕生日を祝おうね。』と綴っていました。
お願いの通り、
長生きしてくれて、誕生日を祝うことができたおばあちゃん。
「“うさぎとかめ”、今度は月のうさぎになって、
私たちを見守っていてください。」
今夜もキレイなお月さまは見えるかな。